退職2日目、夜

仕事辞めて、次に勤める予定の会社の面接まで何日もあるんで今日も温泉に入ってきました。

平日の午後1時の温泉というのは、圧倒的に高齢者か、さもなくば、カテゴリーがよくわからない部類に属する若者が数名入りに来てました。示威行為なのかなんなのか他者を侮辱する独り言を吐き捨ててましたが、昨今の日本ではこういった若者を沢山目にするようになりました。あおり運転する部類に属する人種と同じ類なのかも知れませんね。 

ああ、戦後の昭和の頃は本当に良かったとしみじみ思ってしまいます。 

令和の若者の心をゾンビのように腐らせ、グールのごとく行動している原因は何なのか・・・。

まぁ、甲子園で決勝戦をやってた高校生に関係するカテゴリーに属する人びとには無縁の話ですね。あの穢れなき心を、社会人になっても持っていて欲しいと願ってやみません。 

 

さて、入ってきた温泉ですが、札幌は森林公園近くのモール温泉で、外観はスーパー銭湯っぽい所です。温泉の色は、コーヒーというか、醤油よりも薄い感じの褐色。露天風呂の温度も41℃ぐらいじゃないですかねぇ。測ったわけではないので、あくまで体感の話ですが。

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こじんまりしてて綺麗で申し分ないですね。

ただ、フロントのアナウンスで、「車上荒らしにお気をつけ下さい」と放送していたので過去に事件があったのでしょうね。 こういうアナウンスを聞くと、すぐ出て車に戻らなくては、という焦燥感が沸き起こるので、温泉の風情とか情緒とかいったものは完全に失われます。 あとは、冒頭に書いたように温泉の良し悪しを決めるのは客層ですね。ご老人だけだと、完璧なまでに素晴らしい温泉の情緒が醸し出されます。が、反対に、DQNとか輩とかちょい悪おやじだのと言った、あれらのカテゴリーに属する者が、雰囲気を台無しにするので、そうですね、店頭の看板にイレズミお断りと書いてあるのと同様に、輩お断りと出すか、さもなくば、店自体を輩専用にするとか方法はあるでしょう。そういった所には善良な私のような客は行きませんので、社会的に棲み分けが出来ていいんじゃないでしょうか。

ぁ! そうだ、輩と私の棲み分けで思い出した。

多様化共生社会でしたっけ。あれは前提が間違っていれば成立し得ないという事だけは申し上げておきます。

全く同じ理由で、あいちトリエンナーレで起こった不自由展問題。あれも結局は前提が間違っているので、こんな事態になってしまったんです。

表現の不自由さを感じて、自由にしさえすれば芸術として成立するし、社会もそれを多様化共生の一部類として受け入れなければならないとの驕りを持っているんです。

そんなはずは、あるわけないじゃないですか。

いいですか、そもそも憲法に記載の「表現の自由」とは、「政治的表現の自由」を念頭に置いたものであって、誰も、美とはなんなのか?あれそれが芸術であるが故にその表現方法は自由である。・・・なんてーことを憲法内で謳っているわけじゃないんですよ。 このように、前提が間違ってるから、おかしい事になっちゃうんです。

もう一回、ちゃんとした所で憲法、学びなおした方がいいでしょうね。あいちトリエンナーレ関係者は。

おさらいですが、何が言いたいのかというと、①社会において棲み分けは必要

多様化共生社会というのは単なるお題目だけで、相入れないものは確実に存在する。

②個人の「表現の自由」権は、「公共の福祉」の制約を受ける。

温泉で、人様を侮辱する独り事は「表現の自由」として認められる権利行使ではない理由は、以上の2点からの当然の帰結である。

そこから派生して、あいちトリエンナーレも、好き勝手なんて公共の施設でできはしない。という結論に達する。

言いたい事は以上です。よくわからなかった人は、私には聞かずに憲法学者とかそういう仕事をしてる人に聞いて下さい。オネガイします。

でわ🌚 次の記事でまたお会いしましょう。